月別アーカイブ: 4月 2011

スペインの思い出 Ⅹ 「バレンシアのオカマ」

ホテルのバルのカウンターで酒を飲んでいた、

バーテンと片言で話していた、

バーテンをはさんだ向かいのカウンターに、女性のフラメンコ衣装を着たオカマがいた、

僕は気になり、ちらちら見ていた、

それがいけなかった、

こちらへ近づいてきた、

隣に座ってもいいかと言ってきた、

僕は断る理由もないので「どうぞ」と言った。

やはり片言で話をした、

僕が何かおもしろいことを言うと 彼(彼女?)はカスタネットを高く上げ笑いながらカタカタと鳴らした、

そうして しばらく話しているうちに「私の部屋に来ないか?」と言い出した、

僕はそういう趣味はないので、お断りした、

しかし彼(彼女?)は腕を掴み強引に誘ってきた、

僕は、目くばせでバーテンに助けを求めた、

バーテンは「自由恋愛」に興味はない、という感じで無視した、

それを遠巻きに見ていた ジプシーのおばちゃんが近づいてきた、

助けてもらえる!、と期待した。

おばちゃんは僕の方に手を出し、「お金をちょうだい。」と言った、

そう、スペインではジプシーは、客にお金をせびりに平気で店内に入ってくる、

僕は頭の中がパニックになり、腕をふりほどき逃げるように部屋に戻った。

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、、、、、、あのときオカマについて行っていたら、僕も今ごろ、日本でフラメンコの衣装を着て、

酒場の男たちを誘惑していたかも知れない、、、、、、(笑)

スペインの思い出 Ⅸ 「バルセロナ」

日本を出るとき、花王石鹸の役職の方から

「スペインに行ったら、バルセロナにある 日本人学校でギターのコンサートをしてやって欲しい」と頼まれた、

バルセロナには花王石鹸の工場があり、日本人がたくさん行っている、

向こうの方の名前と電話番号を教えてもらい日本を発った。

スペイン滞在の終わり頃にバルセロナに入り、電話をかけた、

しかし、いっこうに電話が通じない、

あきらめかけていた、

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もうスペインも最後で、日本食が恋しくなり、日本料理屋に行った、

名前は「小雪」、今でも憶えている、

鯵の刺身を食べていた、

店内には「吉田拓郎」の歌が流れていた、

懐かしい味に懐かしい歌だ、

隣の席ではサラリーマン風の男性二人が食事をしていた、

ふと、その会話の中に

「下津のゴルフ場、、、、」   「花王の前の打ちっ放し、、、、、」

と言う会話が聞こえてきた、

それって、ひょっとして和歌山の事じゃないのか、と思い 

二人に「花王石鹸のOOさんをご存じないですか?」と声をかけた、

すると一人が「それは私です。」と答えた、

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スペイン第2の大都市バルセロナで捜していた人が隣に座っているなんてそんな事があるだろうか、

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そういえば、以前 何回目かにスペインに行ったとき乗り換えでローマの空港をうろうろしていたとき、

「せんせ~い!!」という声が聞こえて来た、

見ると、ギターの生徒が二人 手を振りながらこちらへ駆け寄ってきた、

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ひょっとして世界は案外狭いのかも、、、、、。

スペインの思い出 Ⅷ 「マラガのおばさん」

マラガの街は 高台にある城跡から見下ろすと、神戸の街を思い出す。

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食事の材料を買おうとマーケットでうろうろしていると 日本人のおばさんが近づいてきて 話しかけられた。

「こちらにお住まいですか?」と尋ねてきた。

「いいえ、立ち寄っただけです」と答えた。

多分あまりにラフな格好をしていたので、そう思ったのだろう、

おばさん「初見玲子さん」といい、アメリカ人と結婚をしてこちらにすんでいるとのこと

職業は作家だと教えてくれた、

日本人と話すのは久しぶりということで家に招かれた。

そこでいろんな話を聞かされた、

スペインでの暮らしはたいへんで、日本人は差別をされると訴えた、

「この間もタクシーに手を挙げたら、私より向こうにいる若い女の子の方に止まった」

と、                 ん、、、、、、それは、差別なのか、、、、、、、。

でも、確かにスペインにいると、あちこちで差別を受ける。

僕もあまりの無礼さに何回も、怒鳴ったり、テーブルを叩いたりした、

おばさん、これからも負けずに頑張って暮らしてネ。

スペインの思い出 Ⅶ 「コスタ・デ・ルス」

コスタ・デ・ルス(光の海岸)で海を見ていた、

誰もいない海だ、

風だけが異常に強く吹いている。

しばらくすると、2人の若者が車でやってきて、何かを組み立て始めた、

それはセイルで、  ボードに取り付けると、ウエットスーツ姿で海へ入っていった、

すごいスピードで海の上を走っていく、

これが、僕が初めて見た”ウインドサーフィン”で、

すっかり虜になってしまった。

日本に帰って、すぐにウインドサーフィンを始めた。

今では、ギターとウインドサーフィンが僕の人生の柱になっている。

スペインの思い出 Ⅵ 「バルにて」

食事をしようと、バル(酒場と食堂を合わせたような店)に立ち寄った、

狭い店で 一番奥にはステージがあり、1人の男がギターを弾き語りしていた。

ワインを飲みながら食事をしていた僕は、一緒に弾きたくなり

ギターをケースから取り出し、ステージへ向かった、(スペインではいつもギターを持ち歩いていた)

彼は嫌な顔をすることもなく喜んで迎えてくれた、

一緒にギターを弾き、楽しいひとときを過ごした、

もちろん酔っぱらった お客たちも喜んでいたと思う

ギターをやっていて良かったと思う瞬間である、

言葉が通じなくとも、すぐにうち解けることが出来る。

そして、こんな事が出来るのがスペインのいいところである。 

スペインの思い出 Ⅴ 「ゲルニカ」

スペインを訪れたら、ピカソの「ゲルニカ」を是非見たいと思っていた。

そのためにゲルニカの町にも行ってきた、

ゲルニカの町は「ゲルニカ」を展示してあるマドリッドからはるかに遠く、スペインの北の端にあった。

ナチスが爆撃をして破壊してしまった町は今は 静かで平和な町になっていた。

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そしてプラド美術館に「ゲルニカ」を見に行った、

館内は広く、端から見ていけばすぐに見つかるだろうと思っていた。

しかし ここの美術館には膨大な量の絵画があり、5時の閉館が近づいてもいっこうに「ゲルニカ」は現れない。

僕は、係員に「ゲルニカ」はどこに展示してあるのかを尋ねた、

それは別館にあるという事だった、

もう閉館の時間が間近に迫っていたので僕は走って別館へ向かった、

別館に着いたとき、まだ5時の閉館前なのに係員が入り口を閉めかけていた、

僕はおじさんに、入れてくれるように頼んだ。

おじさんは「明日、また来い」と言った、

僕は「今日はスペイン最後の日で、明日は日本へ帰らなければならないので、少しでいいから見せて欲しい」と頼んだ。

おじさんは頑として、「明日、また来い」と言った。

何度頼んでも無駄で、僕はあきらめて美術館を後にした。

その時、おじさんの言ったように ”必ずもう一度来てやる”と心に決めた。

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数年後、再びスペインを訪れる事になり、「ゲルニカ」を見ることが出来た。

絵は以前のプラド美術館から、ソフィア王妃芸術センターに移され、そこを安住の地としていた。

初めて見た「ゲルニカ」は感動的で、展示してあるこの部屋には僕以外誰もおらず、

「ゲルニカ」を独り占めしている喜びと、前回からの思い入れが重なって、5分ほどそこに立ちつくしていた。

そして、何度も、何度も、振り返りながら惜しむように「ゲルニカ」を後にした。

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スペインの思い出 Ⅳ 「マヨール広場」

この日僕はマドリードのマヨール広場の中央にある、フェリペ3世の騎馬像の下に腰をかけてギターを弾いていた。

2歳くらいの男の子を連れた父親が演奏を聴いてくれていた、

しばらくすると男の子は僕に近寄り、ギターが欲しいと掴んで離さなくなった

父親は子供をなだめるようにして元の場所に戻った

その傍らでは、若者2人が空き瓶をほうり上げ、落として割るという遊びをしていた、

危ない遊びをするなあ、と思いながらギターを弾いていた、

そのとき 子供の父親は、若者に近づくなりいきなり顔面を拳で思い切り殴った、

若者は鼻血を出して吹っ飛んだ、

地面に倒れた若者は抵抗することもなく、もう一人の若者抱きかかえられるように、去っていった。

僕はその父親の、行動に感激し、坊やに欲しがっていたギターをプレゼントした、

父親はギターを受け取ると、子供を抱きかかえ、大喜びで飛びはねながら帰って行った。

ほんとは、きみがギター欲しかったんじゃないかい(笑)

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あげたギターは、日本から持って行った安物で、またスペインで新しいのを買い直しました。

でもあの親子、ギターまだ使ってくれているのかな?

スペインの思い出 Ⅲ 「アントニオ・マリン」

「アントニオ・マリン」は有名なギター製作家で、僕は日本を出る前から彼にギターを作ってもらおうと決めていた。

下調べをした結果、彼の元には世界中から注文が来、ギターができあがるまで数年待たねばならないこと、そして作ってもらうために彼の前でギターを演奏して認めてもらわなければならないことになっていた。

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彼の工房はグラナダのアルハンブラ宮殿に向かう坂道の途中にあった。

工房には看板も表札もなく古びた普通の民家で、探し当てるのにたいへん苦労した、

おそるおそるドアを開けて「オラ!」と声をかけると、奥からアント二オ自身が出てきてくれた、

僕はギターが欲しいむねを伝えると、彼はこころよく奥の工房へ案内してくれた、

そこでは2人の若い弟子がギターを作っていた、

アントニオは出来上がったばかりのギターを僕に渡し、弾いてみるように言った、

ギターはまだ塗装がされておらず、音色は素朴な感じがした。

僕はアントニオと2人の弟子の前で、演奏をした、

そして、ギターを作ってもらえる事になった。

ただし、出来上がるまで3年待たなければ、ならないことを聞かされた。

僕は住所を書き、彼の工房を後にした、

彼はいつまでもドアの前で見送ってくれていた。

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そして、3年後に、彼の元から、ギターが出来たという連絡が来た、

しかし、日本の輸入業者と専属契約をしているために、日本に送ることは出来ないので スペインまで取りに来て欲しい、という事だった。

その時の僕は 時間的、経済的にもスペインまでギターを取りに行ける状態ではなかったので

泣く泣くあきらめる事にした。

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現在はオーストラリアの製作家「ツビニエフ・ナテック」のギターを使っています。

スペインの思い出 Ⅱ 「アルハンブラ宮殿」

昔 テレビで荘村清志先生がアルハンブラ宮殿でギターを弾いているのをみた、

ぼくもそこでギターの名曲「アルハンブラの思い出」を弾いてみたいという思いが沸いてきた、

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そして、それが叶えられるときが来た、

僕は少しの興奮を憶えながら、入場券売り場へ立った

いざチケットを買って中へ入ろうとするとチケット売りのおじさんのストップがかかった、

「ギターは中へ持ち込めない」と言う

僕は 「はるばる日本からギターを持ってきたのだから入れて欲しい」と頼んだ、

押し問答の末 結局規則だからダメだということで おじさんにギターを預けて宮殿を見学することになった、

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見学を終えて、「もう帰るからギターを返してくれ」と言うと

おじさんは、「そんなものは知らん」言い出した、

僕は「さっきおじさんに預けただろう、」と言い返した

それでもおじさんは「知らん」の一点張りだ、

僕はとうとう切れかけた、

おやじはその顔を見て二カッと笑い「冗談だ」と言いながらギターを持ってきた、

ほんとにスペイン人は冗談がきつい。

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アルハンブラ宮殿でギターを弾くことをあきらめた僕は、外にある「カルロス5世の宮殿」でギターを弾くことにした、

「アルハンブラの思い出」を弾き始めると、思いのほか良く響くのに驚いた、

あとで聞くと、ここは毎年 夏に音楽祭が開かれる場所で、以前にカラヤンも来た事があると知った、

どおりで良く響くわけだ。

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結局、アルハンブラ宮殿ではギターを弾くという夢は叶わなかったが、

このあと、宮殿の向かいにある「アルバイシンの丘」から 夕暮れに赤く染まるアルハンブラ宮殿を見ながらギターを弾き、

その美しさに感動しながら、「これでいいんだ」と自分に言い聞かせました。

スペインの思い出 Ⅰ 「サンクロモンテ」

グラナダには有名な「アルハンブラ宮殿」がある、

その宮殿の窓からから向かいの山を見ると 中腹にたくさんの洞窟が見える、

ここはサンクロモンテといい 今でもジプシーたちが洞窟で暮らしている

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この日 僕はここでジプシーたちとギターを弾いていた、

ジプシーは子供たちさえもギターがとてもうまい、

そのとき僕は彼らに頼まれ「アストゥーリアス」を弾いていた、

突然、ドアが開き 日本人観光客が入ってきた、

もうショーが始まる時間になっていたのだ

ここのジプシーたちは「フラメンコショー」で生活をしている、

その日本人の一人が僕に指をさし、

「日本人がいるぞ。」と叫んだ

僕はなぜか 気恥ずかしくなり奥へ引っ込んだ、

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地元でジプシーは「泥棒集団」と呼ばれ 評判は悪いが、僕にはとても親切に接してくれた、

彼らと一緒にギターを弾いている写真は今も家に飾ってある、

機会があれば、また会いに行きたいものである。

洞窟の中はこんな感じです ↓ (参考)