グラナダで注文した「アントニオ・マリン」が出来上がるまでのギターを買おうと、マドリッドにある「ラミレス工房」へ行った、 (アントニオ・マリンは”スペインの思い出Ⅲ”でも書いたように、手に入らなかった)
見せてもらったギターはどれもこれも高く、日本で買うのと変わらない(あきらめた、)
次は荘村先生の使っている、「ベルナベ」を見せてもらおうとベルナベの店に行った、
閉まっている、電話しても出ない、
3日間通ったが、閉まったままだった。
次に興味のある「コントレラス」の工房を電話帳で捜して電話した、
本人が出た。
「今、店にいるからおいで、」と言われた。
場所を聞き、さっそく出かけた、
マイヨール広場から少し西に行った所にあった。
日本から来たと、挨拶をしてギターを見せてもらった、
驚くほどいい音がした、値段も手頃だったので買うことにした。
コントレラスはとても感じのいい親父だった、
二人でギターの代金を 一生懸命、ペセタから円にして換算した(それでも間違っていて1万円少なく払って来ていた、すいませんでした。)
僕が日本に帰って1ヶ月後にコントレラスが亡くなった事を知った(ご冥福をお祈りします)
ひょっとしたら彼の最後のギターを買ったのかも知れない、、、。
このギターは僕のお気に入りで、3年前にオーストラリアの「ナテック」を買うまで20年近く愛用していた。
そして、ナテック(250万円)を買うお金が足りなかったのでコントレラスを、泣く泣く生徒に買っていただきました(大事につかってネ。)
マヌエル・コントレラスと一緒に写した写真はいつもレッスン室に大切に飾ってあります。