私の母が7歳の時、戦後すぐに朝鮮から
引きあげてきました。
下に6.4.2.才の弟、妹をつれて。
祖母は32歳。
小さな舟で、命からがら何も持たず。
日本と朝鮮の間の、対馬(つしま)という島に
着き、地元の人に宿を借りました。
宿を借りさせてもらっただけでも有難いのに
幼な子4人を連れた若い母親に、
「どっこも行くところがなかったら、ここへ
戻っていらっしゃい!」と言ってくださったそう。
祖父は戦死。遺骨も遺品も何もなく「戦死した」
という紙きれ一枚が届いたのだそう!
国にとっては、兵隊1人ぐらいは、紙きれ
一枚ほどの存在なんだ!!!
5人は祖父の実家の広島に身を寄せた。
いじめられた。
納屋に最低限暮らすだけの生活用品や布団が
揃った頃に、納屋が火災で全て焼けた!
祖母家族は朝鮮でも火災に遭っている。
さすがの気丈なばあちゃんも、長女の母に
「もう死のうか」と言ったらしい。
つづく