焼けてしまった納屋のある祖父の実家
広島を出て、5人は祖母の実家の滋賀に
身を寄せた。
祖母が長女だったため、その弟妹はまだ子も
少なく、父親が戦死した子達4人をかわいがってくれた。
冬は雪深いびわ湖の北東は、何も採れない!
しかし、貧しくとも助け合って暮らした。
愛があれば 幸せに暮らせる!お手本である。
うちの母も、大人になるにつれ、おばの美容室を
手伝ったり、おじの看病をしたり、みんな家族の
分け隔てなく献身的に協力した。
戦死した父の代わりに、みんなで育ててくれたの
だから、母にとっては当たり前なのだ。
私も母兄弟のおじおばに小さい頃良くしてもらった!
身体にいくつもハンディキャップのあるおばに
洋服を仕立ててもらった!
床屋のおじに、幾度もタダで散髪してもらった!
お年玉をもらった!
長男である弟家族のばあちゃん家では、毎年
泊めてもらい、親族が集まり、
冬は京都では見たことのない、
高く降り積もった雪掻きをした!
もうそのお世話になったばあちゃんやおばや
おじは亡くなった人も多い。
大人になってハタと気づいた!!!
私、何もおじおばに、この恩を返してない!
私にできること。
おじおばの子供や孫達に、私の時間や労力や
お金を使うこと!!!
愛の伝達継承ですわ!!!
愛に満たされた経験があると、今度はそれを
下の子達にしてあげたくなる!!!
しなければ!!!という使命感が沸き起こる!!!
今、私ができることは、一時的なことだ!
子育ては24時間365日切れ目なく続く。
しかし、私が大人になって「あ〜!私はお世話に
なりっぱなしで、ごめんなさい!ありがとう♡」
と、ハタと気づいたように、今小さい子たちが
大人になった時に「自分は一人で生きてきたんじゃ
なかったんだ!!!」と、ちょっとホッコリして、
生きる希望を失わないでくれたら、、、と
だから おばさんは、愛を配る。